信長の「天下布武」印が最初に使われた朱印状“初”公開 配下にインフラ整備を命じた朱印状も

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織田信長をはじめ、三英傑らがこの地方の武将に宛てた多くの「古文書」が名古屋市に寄贈され、4月16日、初めて一般公開されました。

配下武将にインフラ整備を指示

天下布武の印が初めて使われた朱印状

いにしえの交通インフラ事情などが分かる古文書は、秀吉清正記念館で公開されています。名古屋市に寄贈されたのは58点の古文書です。中には織田信長からの古文書が6点、豊臣秀吉からは8点、徳川家康からは2点と、時の天下人から送られた古文書も寄贈されました。

名古屋市博物館の岡村弘子学芸員に話を聞きました。

―――今回、多く寄贈された中で3つ選んで展示されていますが、なぜこの3つなんですか? 

岡村学芸員:
「まずこちらは織田信長が家臣に領地を与えた朱印状。信長の“天下布武”のハンコが一番最初に使われました。こちらも信長からの朱印状。道路・橋・水路・堤防といった“インフラ整備をしっかりやりなさい”と申しつけたものになります」

三英傑からの指示を受け、尾張の土木事業に尽力していた東海地方の武将は誰なのか。実は愛知県稲沢市、祖父江にゆかりのある武将なんです。ゆかりの地を訪ねてみると…

岡田愛マリーアナウンサー:
「石碑が建ってます」
   
その武将とは坂井文助利貞(さかいぶんすけとしさだ)です。信長から命を受け、尾張地方の道路や水路の整備といった土木事業を担っていました。

岡田愛マリーアナウンサー:
「今回の古文書も酒井家の子孫が寄贈したということです」
※現代の名字の表記は「坂井」ではなく「酒井」

信長が坂井利貞に宛てた古文書の中で、興味深いのが…

【古文書(現代語訳)】
『尾張の道について一年に三回修築すること。同じく橋については、以前の決まりから、橋を作った地元に管理を申し付けよ。また水路などについてもしっかりと指令を出すこと。おろそかにする地元民がいたら、よく取り調べをして罰を下すこと』

信長は戦争ばかりではなかった インフラ整備や土木対策も

名古屋市秀吉清正記念館

名古屋市博物館 岡村弘子学芸員:
「信長は戦争ばかりしていたわけではなく、国内の支配をきちんとするために、インフラ整備や土木対策もちゃんとやっていたことが、“酒井家文書”から初めてわかる」

また坂井利貞は、織田信長だけでなく豊臣秀吉や徳川家康のもとでも土木事業を担っていたといいます。

岡村学芸員:
「こちらは豊臣秀吉の朱印状です」

秀吉は尾張地方を鷹狩りの場としていて、その管理を坂井利貞に任せていたといいます。これらの古文書が寄贈されたことに対して、岡村学芸員は…

岡村学芸員:
「博物館が大切に守り、未来につないでいって、信長・秀吉・家康の天下人の治世と、地域の武将たちがどうやってそれを支えていたのか発信していきたい」

古文書は、名古屋市秀吉清正記念館で5月6日まで展示され、無料で見ることができます。

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