織田信長の弟は武将で茶人 手掛けた茶室は常識破りの斬新デザイン 「有楽流」独特の世界観を見る

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織田有楽斎が手掛けた茶室「如庵」

織田信長の実弟である織田有楽斎(長益)には、武将としての顔だけでなく、茶人としての顔もあった。「茶の湯」を極めようと歩みを進めた有楽斎が編み出した「有楽流」は、独自の世界観を体現したものだといわれている。今も残るゆかりの茶室を訪れると、その常識破りの発想に兄・信長との共通点が見えた。

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有楽斎が手掛けた常識破りの茶室「如庵」

当時の暦を貼り付けた「如庵」の内壁

有楽斎が晩年を過ごした京都の正伝永源院には、有楽斎が設計した茶室「如庵」(国宝)を復元した「写し」がある。中に入ると、当時の「カレンダー」である暦を貼り付けた「暦貼り」の壁が。それまでの茶室にはなかったとされる内装だ。

斜めの壁を取り入れた「筋違いの囲」

当時主流だった茶室は禅宗の影響を受け、質素で狭く、暗い雰囲気が漂っていた。ところが「有楽斎は真逆をいっていた」と正伝永源院の真神啓仁住職。暦貼りの壁のほか、窓には細い竹がわずかな間隔で格子状に詰め打ちされており、その隙間から柔らかな七色の光が室内に差し込むように設計されている。「有楽窓」と呼ばれるこの窓は、より多く採光できる仕様となっているため、室内が明るいのが特色だ。

客座を広く見せるため、室内の床に三角の板を入れて壁面を斜行させている「筋違いの囲」も。常識にとらわれない、自由で斬新な工夫が施されている。

独創性を取り入れる姿勢に信長との共通点も

京都市の正伝永源院にある織田有楽斎の像

常識破りな一面は「茶碗」にも。当時の茶人は自らの手で茶碗を作る習慣がなかったが、有楽斎は自らが作った茶碗で客人に茶を振る舞っていた。「茶の湯」に独創性を次から次へと取り入れていく有楽斎のあり方は、兄の織田信長と同様、既定の常識を打ち破り、新しい境地を切り開いていく姿勢を我々に示してくれている。

有楽斎の末裔である織田裕美子さんは「信長の弟なので毅然とした人で政治力もあった。かぶき者とも言われ、信長との共通点もあった」との見方を示す。

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