手話で語り継ぐ被爆者の体験談 戦後78年「記憶をつなぐ」 語り継ぎで記憶を次世代へ
戦争の体験者が年々減る中、その経験や記憶をどう残していくかが、大きな課題となっています。被爆者の体験談を手話を使って語り継ぐ活動を続ける1人の女性を取材しました。
1945年8月9日に長崎市に原爆が投下され、約7万4000人が亡くなりました。聴覚障害のある女性が長崎で被爆。その体験を手話で語り継いでいます。
手話と体をめいっぱい動かした表現で、戦争の悲惨さや人々の感情を表します。
杉野さんは2022年10月に一宮市で、被爆者の体験を手話で語り継ぎました。
手話で表現:
《私の名前は山崎榮子です。少し休もうと横になった瞬間、パーッと目の前が明るくなり、太陽を見たときと同じようなオレンジ色の光が目の前に広がって光を放っていました》
杉野さん:
「最初は不安しかなかったんですけど、聴覚障害者の(戦争を体験した)おじいちゃん、おばあちゃんも来てくれました。『自分は語れないから、代わりに語ってね』と言ってもらえて」
杉野さんの公演をよく見る人に話を聞きました。
長崎和弘さん:
「私たち戦争を知らない人たちにしてもそのシーンを見たことによって、まるで1945年8月9日の長崎に私たちがいるかのような感じを受けました」
戦争の体験を語る人たちとの出会いがきっかけに
杉野さんは20歳で京都にある聴覚障害者専門の福祉施設に勤務。約4年間、手話で話す高齢者たちと生活を共にしました。
杉野さん:
「みんな私が夜勤のときに話しに来るんです。いろんなところで体験した空襲や戦争、原爆の体験。おじいちゃんやおばあちゃんが語っているときの目の色に引き込まれていって。そうした出会いが、戦争の“語り継ぎ”をするきっかけとなりました」