豊臣秀吉と尾張との意外な関係も 天下人・秀吉の生涯をたどる展示会が名古屋市博物館で開催

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名古屋で生まれた天下人・豊臣秀吉の生涯をたどる展示会が、名古屋市内で行われています。会場から中継です。

【名古屋市博物館】リニューアル前プレオープン!特別展「名古屋には秀吉がおるでよ」開幕

太閤花見図屏風

名古屋市博物館で開かれている『名古屋には秀吉がおるでよ―秀吉と尾張の歴史―』という特別展についてご紹介します。まず、『太閤花見図屏風』。右側に桜の花が描かれ、左側にはそれを眺める3人の人物。黒い装束が秀吉です。

名古屋市博物館は3年前からリニューアル工事に入っています。そして、本格的な再開に先立ち、9月5日(土)から2カ月間のプレオープン期間に入りました。その期間中に開催されているのが、この『名古屋には秀吉がおるでよ―秀吉と尾張の歴史―』です。秀吉の生涯を尾張との関わりを中心に紹介しています。

【尾張との深い絆】大坂城へ拠点を移した後も続いた天下人・秀吉の直接支配

小牧・長久手合戦図屏風

こちらは『小牧・長久手合戦図屏風』。家康と秀吉が対決したこの合戦、秀吉軍の惨敗となりました。あちらこちらで倒されているのは、秀吉の軍勢と思われます。

この頃には、秀吉はすでに大坂城を居城としていましたから、名古屋との縁は薄くなっていたのではないかと考える方が多いと思いますが、そんなことはないのです。秀吉は天下人となってからも名古屋と深い関わりを持っていました。それを示すのが、『豊臣秀吉朱印状』。何が書かれているか、学芸員の岡村さんに伺いました。

【貴重な初公開資料】文禄4年の「豊臣秀吉朱印状」が解き明かす熱田と秀吉の歴史

豊臣秀吉朱印状

名古屋市博物館の岡村弘子学芸員によると、この朱印状は文禄4年(1595年)に熱田の有力者・加藤嘉明へ宛てて出されたものです。

豊臣秀吉朱印状

岡村学芸員は「当時は関白から太閤となった時期で、甥の秀次が失脚した後に秀吉が自ら尾張の直接支配に乗り出しました。大坂へ拠点を移した後も、秀吉がこの地域に対して強い支配権を持ち続けていたことを示す貴重な資料です」と解説します。

名古屋には秀吉がおるでよ―秀吉と尾張の歴史―

『名古屋には秀吉がおるでよ―秀吉と尾張の歴史―』は11月1日まで開催となっています。

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