伝説の万能薬「浅井万金膏」を大捜索 市民の高齢者も「懐かしい」 最盛期は年間400万枚以上を手づくり

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浅井万金膏

「どんな怪我や痛みもすぐに直ってしまう万能薬がある」とのウワサを聞いて訪れたのは愛知県一宮市。商店街の薬局で話を聞くと、その伝説の万能薬は「浅井万金膏(あざいまんきんこう)」という名前で販売されていたそうです。

遠方から車で買いに来店する人も多く、過去には「みんな命がけで買いに来ていた」ほど、人気の薬だったのだとか。

「いたむところによし」

薬袋に残る「いたむところによし」のキャッチフレーズ

捻挫や打撲、炎症などによく効いたといわれる万金膏。当時販売されていた現物がないか、「一宮市博物館」を尋ねました。すると、看板や資料は保管されていて中には正式名称である「淺井万金膏」の文字が書かれた薬袋も残っていました。「いたむところによし」のキャッチフレーズが古き良き風情を感じさせます。

敷地内にある製薬会社

その後、薬袋に書かれていた古い住所を手がかりに製薬会社があったと思われる医院を訪問。現在もクリニックを営んでいる浅井森医院の隣にある、「森林平製薬」が浅井万金膏を作っていたのだとか。

当時の製作過程の一部

森林平製薬の方の話によると、創業者である初代の森林平が浅井万金膏を作ったのは江戸時代の1709年。20種類以上の生薬を火にかけて混ぜ合わせることで黒いペースト状となり、これを伸ばしたものを傷む箇所に貼ると痛みが消えると言われていたそうです。その効能は大変高く評価されました。

力士が地方巡業で万金膏の良さを全国に広めた

浅井万金膏の効能は力士の間で評判となり「相撲膏」とも呼ばれて全国的にも知られていたとのこと。最盛期には年間400万枚以上の浅井万金膏を手作業で作っていたそうです。

大手メーカーの湿布薬の登場で衰退

貼ると黒色が残る万金膏

しかし、黒くてベタベタした浅井万金膏は取り回しが悪く、大手メーカーの湿布薬に押される形で徐々に売上が減少。1997年に生産を終了し文字通り「幻の万能薬」となりました。現在もわずかに現物は残ってはいるものの、薬としては使えないそうです。

過去の万能薬を懐かしむ一宮市民

現物を街の高齢者に見せると、口々に飛び出たのが「懐かしい」の言葉。かつての万能薬は、年配の方々の思い出とともに伝説となっていました。

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