MRJ無念の中止 審査現場は「最後の最後まで混乱が続いていた」 国交省の審査トップが証言
最後まで混乱が続く
2016年、アメリカのワシントン州、モーゼスレイクの飛行場にMRJの試作機が運ばれました。ここで三菱航空機は、型式証明取得のための様々な試験を重ねました。
ところが、審査の現場は最後の最後まで混乱が続いていたと清水さんは話します。
――国交省として型式証明は出せないレベルでしたか?
清水 所長:
「その判断ができるところまで、まだいっていなかった。そこまで審査や開発が進んでいない状況」
――何合目まで到達していましたか?
清水 所長:
「途中で試験に失敗すれば、また設計にフィードバック(戻す)しますので、そこでまた(提出する)文章の数が増えます。何合目かは一概には。少なくとも10合目には達していない」
証明の方法は示されていなかった
清水所長が担当していた2021年の段階でもなお、その状態。型式証明の審査とはどのようなものだったのか。
こちらは(画像)国土交通省の耐空性審査要領の一部。第3章の強度の項目には、次のような記載があります。
【構造は終極荷重に対して少なくとも3秒間は破壊することなく耐えるものか、又は負荷の実際の状態に模した動的試験によって十分な強度が証明されるものでなければならない。】
つまり、終極荷重、飛行中の機体にかかる最大値の1.5倍の荷重を加えても、3秒以上耐えられることを証明しなければならない。という意味です。
ただその証明の方法は示されていません。
清水 所長:
「我々からここの部分はダメですと言った時に、我々が想定している内容ではない直し方をしてくることは当然ございます」
知見の不足で手戻りが発生
――三菱航空機に知見がないと感じる部分はありましたか?
清水 所長:
「あまり申し上げると審査の個別の話になってしまうので申し上げられませんけれども………
そうですね………。
それ(知見不足)で、手戻りが起こってしまったと思い当たる節はあります」
三菱重工が国土交通省に型式証明の申請をしたのは2007年。そこから2023年までの16年間に6度にわたって機体の大幅な設計変更が行われました。
しかしそれでも、型式証明は手に入りませんでした。それが現実でした。
清水 所長:
「(計画中止は)事業性が見い出せなくなったと説明されています。続けていれば、(型式証明は)取れたのだろうと思います。個人的には」