中日・上林誠知選手、戦力外から再起 キンパ店営む母と父、全国各地の球場に出向いて息子を後押し
いまでは中日ドラゴンズに欠かせない存在となった上林誠知(うえばやし・せいじ)選手。2014年、ドラフト4位でソフトバンクに入団、走攻守三拍子そろった強打の外野手として頭角を現し、5年目の2018年には全試合に出場しました。しかし2019年にデッドボールを受けて右手を骨折。2022年には右アキレス腱断裂とけがに悩まされる日々が続きました。そんな上林選手を絶えず励まし続けたのが、父の光行さんと、韓国出身の母・蓮草(ヨンチョ)さんの存在でした。
2023年に戦力外通告、救いの手を差し伸べた中日
「手の甲にデッドボールを受けて。そこから、一気に崩れていきました」。上林選手が失意に沈んだのは、ソフトバンクのレギュラー3年目となる2019年。試合中にデッドボールを受け、右手薬指を剥離骨折したことがきっかけでした。けがを乗り越えようとした矢先、2022年には練習中に右アキレス腱を断裂。度重なるけがから出場機会を減らし、2023年にはソフトバンクから戦力外通告を受けました。
そこで上林選手に手を差し伸べたのが、中日ドラゴンズでした。
入団会見では「一度死んだ身だと思っている。自分を救っていただいた中日ドラゴンズのために、全力で頑張りたい」と意気込んだ上林選手。闘志を燃やす一方、再起をかけたドラゴンズ1年目の打率は1割台に低迷。持ち前の打棒復活とはなりませんでした。
息子の試合に合わせて料理教室を開催
そんな上林選手を励ます存在が、母のヨンチョさん。韓国出身のヨンチョさんは、3年前、埼玉県にテイクアウト専門のキンパ店をオープンしました。定期的に全国を回って、韓国料理の教室を開いています。
ヨンチョさんは息子を応援するため、試合の日に合わせて全国各地で料理教室を開催。ある時は、父・光行さんとともに福岡県まで駆け付けました。そんな両親の姿に上林選手は「自分が活躍することで恩返しにもなるし、感謝しています」と笑います。
ヨンチョさん:
「韓国のことわざで、『針と糸』って言うんですね。2人はいつも一緒。一緒な感じで。だから、私がいこいこって連れて行きます(笑)」
光行さん:
「名古屋や福岡のときは一緒に行って、手伝っていますね」