日本初の「全盲プロレスラー」 両目の失明、がんを乗り越え、諦めた夢に再挑戦「元気の輪を広げたい」
追い打ちをかけるように、30歳を過ぎて膀胱がんの発症が判明。さらに2年後には肝臓へ転移した。ベッドの上で死を覚悟した大舘さん。病室の天井を見つめながら脳裏に浮かんでいたのは、ずっと心残りだったプロレスの夢だ。「どうせ死ぬんだったら、やりたいことをやって死にたいなって」。
そして大舘さんは2023年にプロレスを再開し、2024年7月にデビューを果たした。
息子の存在がプロレスラーとして挑戦する原動力
プロレスへの再挑戦を決めたのは、息子・しゅんくんの存在が大きい。しゅんくんには、「日頃から好きなことをやって生きていてほしい」と伝えている。それなのに、手本を見せる親が好きなことから逃げて生きるのは“嘘”になるのではないか、と。
妻の恵津子さんは、大舘さんがプロレスを始めてから「楽しそうに生きている」と明かす。
「ある程度の危険があるのは覚悟するけど、それでも世界が広がったほうがいいって、本人も思っています。楽しそうに仕事をしているお父さんの姿を見るのが一番」と朗らかに笑った。
大舘さんはプロレスラーとして活動する傍ら、家族を養うためにマッサージ師の仕事にも精を出す。「手に職を就けたほうがいい」との高校時代の教師の助言から、マッサージ師を志すように。高校卒業後に「鍼灸マッサージ師」の資格を取得し、2024年12月には自宅でマッサージ店を開業した。
恵津子さんとの馴れ初めも、職場だったという。開業前に働いていたマッサージ店で、施術を行う派遣先に車で送り届けてくれたのが恵津子さんだった。
デビュー後初勝利をつかむために「愛プロレス博」に参戦
2024年12月8日、大舘さんはデビュー後初勝利をつかむために、今池ガスホールで行われた「愛プロレス博」のリングに立っていた。対戦相手はチャンピオンベルトを持ち、勢いに乗る杉浦透(すぎうら・とおる)選手だ。
試合開始のゴングが鳴り響くと、格上相手にも物怖じせず、練習の成果を発揮した。相手からリングロープに抑え込まれ、技を決められそうになったが、ロープワークで体を翻し、柔道の技である「大腰」を繰り出した。中学時代の柔道で培われた得意技だ。その後も大迫力のブレーンバスターを決めると、会場からは拍手が湧き起こった。