戦国時代の幻の城「帰雲城」数兆円規模の黄金を保管か 天正大地震で内ヶ嶋氏一族滅ぶ、金はどこへ?
内ヶ嶋氏は浄土真宗の信者と“同盟関係”?
民謡「千本づき」の一節
《西の山から掘ったる金は月に2回の馬で行く》
「京都の(山科)本願寺へ、金を持っていって納めると聞いています」。岡田家は、浄土真宗の総本山である京都・山科本願寺の熱心な信者。江戸時代の白川郷に広がっていた浄土真宗は、勢力拡大に向けて帰雲城の城主である内ヶ嶋氏も協力していたのだ。
内ヶ嶋氏は浄土真宗の信者と同盟関係だったのではないだろうか。
郷土史家の福井重治さんは「この地でとれた金は共有財産のようなもので、軍資金にもなっていたのでは」と推察する。内ヶ嶋氏2代目の雅氏(まさうじ)の娘が、正蓮寺(本願寺の末寺)に嫁いでいた。
しかも高山別院史資料編には、北陸で起きた一向一揆に親戚関係にあった正蓮寺の信者とともに出兵し、本願寺からお礼状までもらっていたとの記録もあるのだ。
出土品を専門家に鑑定してもらうと…
そんな埋蔵金伝説がささやかれる白川郷周辺で行った2回目の発掘調査。今回は穴の開いた木片や骨らしきものまで約110点も出土した。それぞれ、どのような場面で使われていたのか、高山市史編纂担当専門員の田中彰さんに見てもらった。
「この板は薄さが均等なんですよね。断面がきれいで、なめらかです。のこぎりで切っていますね」
田中さんは屋根材となる“くれ板材”で「のしぶき」になっていたのではないか、と推測する。
のしぶきは主に、武家屋敷の屋根に使われていた。「くれ板」と呼ばれる、木を割った表面をそのまま生かした屋根材を使い、少しずつずらしながら緻密に重ねていく工法だ。見た目が美しく、丈夫な屋根が出来上がる。
田中さんはさらに、への字に曲がった木片は「すのこ天井」を作る材ではないかと続ける。囲炉裏の煙を逃がすために、竿のように長い木材を、隙間をあけて並べた「すのこ天井」ではないか、と。
「断面を見ると、一気にバキッと折れたような感じですね。摩耗していないので、割れてそのまま。一瞬のうちに埋まってそのまま、あまり動いていないと思います」
天正大地震によって押し寄せた土砂は城を押し流したのではなく、城を上から一気に押しつぶしたのだろう。