リーマン・ショックで売り上げ9割減のどん底町工場、奇跡の逆転劇 ロケット部品の依頼を受けるまで

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中村製作所の苦難の道のり

「空気以外なんでも削る」がモットー。ロケットの部品なども手掛け、鉄やチタンなどの素材を1000分の1ミリ単位の超高精度で削る町工場「中村製作所」(三重・四日市市)。

大手に負けない技術で各企業から頼られる存在だが、ここまでの道のりは、決して平たんではなかった。一度は倒産危機に追い込まれた「中村製作所」の奇跡の逆転劇を紹介する。

2008年のリーマン・ショックで状況が一変

初代社長・中村勇夫さんと2代目社長・山添勝美さん

「中村製作所」の前身の会社は、1914年に“漁網を編む機械”を製造する町工場として創業。戦争で一度消滅したが、1969年、機械部品を作る工場として再興。小規模ながらも日本のモノづくりを支えてきた。

3代目社長・山添卓也さん

しかし、2008年のリーマン・ショックで状況が一変する。それまで「中村製作所」の取引は、ある大手メーカー1社にほぼ依存しており、祖父と父が懸命に働く姿を見て育った3代目・山添卓也社長もまた、実直に発注をこなす日々を送っていた。

山添社長は「父と祖父がその会社と取引する中で、苦しんでいる姿を間近で見ていた」と当時を振り返る。

非情な宣告を受け、一念発起

ある日、その大手メーカーの営業担当者・林田(仮名)が工場に現れる。自社もリーマン・ショックのあおりを受けたという林田の口から出たのは「中村製作所との取引を全部白紙にしたい」という非情な宣告だった。

山添社長は「少しだけでもいいから取引を残してもらえないか。せめて3カ月待ってほしい」と土下座して懇願するが、林田は「うちに甘えすぎじゃないですか?  悔しかったらメーカーやったらいいじゃないですか」と、捨て台詞を残して立ち去ったという。

なりふり構わず自社技術をPR

失った売り上げは全体の9割、倒産の危機だった。山添社長はこれまでの受け身体質を改め、積極的に営業することに。同時に新たな技術開発を行う中で、自社の原点に立ち返る。

山添卓也社長:
「父がよくつぶやいていた言葉が『空気以外、何でも削ります』。われわれは『何でも削ります』とPRしながら、展示会や商談会、さまざまな場所で新しいお客さんを探した」

なりふり構わず、自社技術をPRしたのだ。

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