映画「ディア・ファミリー」のモデル、筒井宣政さん語る命のカテーテル 「娘が目標を与えてくれた」

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春日井市にある東海メディカルプロダクツの本社

1981年、人工心臓を研究するため「東海メディカルプロダクツ」を設立。手術費用のために貯めておいた2500万円を投じて、さまざまな機材を取りそろえた。さらに国などの公的機関からの助成金を受け8億円の金額を費やし、あとは臨床試験を行うだけというところまでこぎつけた。

しかし治験、臨床試験に必要な金額は約2000億円。途方もない金額に、筒井さんは人工心臓を断念せざるを得なかった。

【動画を見る】町工場から生まれた命のカテーテル 不可能への挑戦と家族愛

「佳美を救えない」絶望の果てに見えた一筋の光

「できるわけがない」と言われてもあきらめなかった

筒井さんに一筋の光が差したのは「IABPバルーンカテーテル」。当時、国内で使われていたカテーテルは外国製のものばかり。身体の小さな日本人にはサイズが合わないため、合併症をよくおこす問題があったという。

国内での前例はないため、周囲からは「できるわけがない」と冷たい目で見られた。だが、筒井さんには確信があった。「カテーテルには東海高分子の樹脂加工技術が応用できる。さらにIABPのバルーンは、形は違うが人工心臓の研究でおなじことをやってきましたから」。

初釜に参加する佳美さん

1989年、やっとの思いで完成した国産初のIABPバルーンカテーテル。しかし、これは心臓の動きを補助するもので佳美さんを救うことができない。筒井さんは胸が張り裂ける思いで伝えると「私のことは、もういい」と話したという。

「お父さんとお母さんは佳美の誇りだよ。私の病気のためにすごく医学の勉強をして、人工心臓にも挑戦してくれた。ものすごい努力をしたじゃない。それだけでうれしい」

1991年に、佳美さんは23歳という若さでこの世を去った。

IABPバルーンカテーテルはSSからLまで幅広いサイズを用意

「一人でも多くの生命を救いたい」。佳美さんへの強い思いは、東海メディカルプロダクツの企業理念にもなっている。その思いから採算を度外視してでも、患者のサイズに合わせてたくさんの種類のIABPバルーンカテーテルをつくってきた。世界中で17万人を救った“命のカテーテル”だ。

愛知のモノづくりと医療の未来

榊原記念病院・主任部長 七里 守さん

日々進歩する医療の現場で、モノづくり企業の役割は大きくなっている。東京都府中市にある榊原記念病院、循環器内科の七里守さんは、医療スタッフだけでは成り立たないと話す。

「良き材料、良き加工があるからこそ、最終的に我々の求めるカテーテルの治療器具ができます。そういった技術を持っている企業の力があって、はじめて医療は進歩していると感じます」

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