震災から12年「被災地のために何もできていない…」福島への工場進出を決意 岐阜の町工場・社長の思い

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東日本大震災の発生から3月11日で丸12年。しかし被災地の復興はまだ道半ばです。

放射能の影響に今なお苦しむ福島県双葉町にこの春、岐阜県の企業が工場やショップを出店します。

その思いとは?

未だ多くの住宅が手つかずの双葉町

福島県双葉町

荒れ果てた街。ゴーストタウンのようになった福島県双葉町です。2011年、東日本大震災による地震と津波で壊滅的な被害を受けました。

さらに福島第一原発の放射性物質漏洩のため、約7000人の町民全員が避難を余儀なくされました。ようやく去年8月、避難指示は解除されたものの、街に帰ってきた町民はわずか60人ほど。多くの住宅が手つかずのままです。

それでも街の復興のために、かつての田園地帯は埋め立てられ、産業振興のエリアになり、企業誘致が進められています。その再開発地区、上空から見ると巨大な文字が。

復興に向け双葉町に進出した企業の工場、フタバスーパーゼロミルです。

3年かけて工場を建設

製糸工場を建設

岐阜県の製糸メーカー、浅野撚糸(あさのねんし)が手がけた工場です。

館内には製糸工場とともに、ショップやカフェも設けます。3年の歳月をかけて完成しました。この日は、近隣住民に向けての内覧会。浅野雅己(あさのまさみ)社長が陣頭指揮をとります。

「近隣の方々の応援がないと絶対成功しませんので、今日こういう機会を設けさせてもらいました。今日一日よろしくお願いします」(浅野社長)

浅野撚糸は空気を含む特殊な糸、スーパーゼロを開発し、超吸水性のタオル「エアーかおる」を大ヒットさせた会社です。

震災後の福島に何もしてこなかったことを後悔

浅野社長の自責の念

なぜ岐阜の会社が双葉町に?そこには浅野社長の強い思いがありました。

「私も福島大学出身という事もあったんですが、なかなか福島のためにってことが今まで出来ていなかったので」(浅野社長)

青春時代の4年間を過ごした思い出の地。被災地、福島に10年近く何もしてこなかった自分を後悔していました。

「自分はなんという人間なんだろうな...。すごい自責の念が湧き上がってきました」(浅野社長)

自分に今できることは何か、双葉町からの熱い誘致活動もあり、工場進出を決めました。

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