愛知県瀬戸市に存在した難民受け入れ施設「赤十字希望の家」 43年ぶりに自らのルーツを訪ねて

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「ボートピープル」という言葉をご存じでしょうか?代表的なのは、1975年に終結したベトナム戦争に負けた南ベトナム側から、小さな船で海を渡って国外へ逃れようとした人たちです。

実は愛知県瀬戸市にはかつて、このベトナムの難民が移住先が決まるまでの間、一時的に受け入れる施設がありました。この施設で過ごしたことがある男性が7月、43年ぶりに来日しました。今回、その様子を取材しました。

43年ぶりの再会 ベトナム難民として過ごした「自分のルーツ」を訪ねて

トラン・カク・ダイさん

7月、妻子とともにノルウェーからトラン・カク・ダイさん(44)が来日して施設を訪れました。

トラン・カク・ダイさん:
「建物はないが、木々が生い茂っているのは希望のシンボルみたい」

1歳まで施設で暮らす

トランさんは生まれてから1歳まで、「赤十字希望の家」で暮らしていました。入所していたのはベトナムからの難民たちでした。

国外へ逃亡

1975年、ベトナム戦争が終結しました。負けた南ベトナム側の人々は迫害を恐れて国外へ逃れようとしました。その多くが小さな船に乗って決死の覚悟で海を渡るボートピープルでした。

トラン・カク・ダイさん

トランさん:
「両親は数日分の食料と水を持って船に乗ってベトナムから海に脱出した。大きな船に助けてもらえるかなという希望を持って」

トランさんの家族

ベトナムを脱出したトランさんの家族はノルウェーの船に救助され、1981年に一時滞在先として希望の家に入りました。そして翌年、トランさんが瀬戸市内の病院で生まれます。一家はその後、希望していたアメリカに行くことはかないませんでしたが、船を救助したノルウェーへ。

自分のルーツを知りたい

トランさんは今回、記憶にない自分のルーツを知りたいと関係先を訪れました。

鈴木光広さん

元赤十字希望の家 職員 鈴木光広さん:
「お父さんとお母さんと一緒に当時希望の家で生活させてもらった。トランさんが希望の家で生まれたこともよく覚えている」

43年ぶりの再会

トランさん:
「I'm sorry.」

職員だった鈴木さんと43年ぶりの再会です。

国連から食費

当時、午後4時になると入所者たち自身で食事の準備が始まっていました。国連から食費として大人1日500円、子ども200円が支給され、その範囲内で生活を営む必要がありました。

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